第一波小さく住民戻り、死者・不明900人超
<4月17日・河北新報>
■津波に強いと言われた山田湾に面した岩手県山田町で、津波による死者、行方不明者が900人を超えた。目撃者の証言によると、最初に見えた津波が低かったことに安心した住民が自宅に戻り、その後の大津波にのみ込まれたという。
■記事のテキスト
----------- 死者・不明900人超
津波に強いと言われた山田湾に面した岩手県山田町で、津波による死者。行方不明者が900人を超えた。目撃者の証言によると、最初に見えた津波が低かったことに安心した住民が自宅に戻り、その後の大津波にのみ込まれたという。波静かな山田湾という住民の固定観念が、被害拡大につながった恐れがある。
第一波小さく住民戻り、犠牲
「山田は今回の津波でも大丈夫だ」。3月11日午後3時すぎ、町中心部の住民が避難した高台でこんな声が上がった。 住民によると、高台から見えた最初の津波は、じわじわとあふれるような様子だった。勢いは弱く、高さ3㍍の防潮堤に跳ね返された。
南北の半島が円状に海を取り囲む山田湾が湾口が500㍍と狭い上に、湾内の幅は最大4㌔に及ぶ。波は広い湾内で威力が減殺され、普段は白波さえ立てず、台風の時は船の避難場所となる。
町役場近くの高台に避難していた佐藤義英さん(76)は「多くの人が防潮堤を超えなかった津波を見て安心した。大勢の人が持ち物を取るため高台を下って家や職場に戻った」と証言する。
高台にとどまった飯岡清助さん(59)は約10分後、信じられない光景を目にした。潮が引いて、湾内に浮かぶ二つの島の間の海底500㍍が完全に露出し、間もなく、大きなうねりが襲った。
飯岡さんは「一瞬にして海面が盛り上がり、防潮堤を超えた。町に戻った大勢の人が次々とのみ込まれた」と振り返る。
海岸から離れた住宅地に住む横田幸正さん(69)も最初の津波が小さかったことで警戒を緩め、家の外に出た。直度、遠くに濁流が見え、数秒で目前に迫った。
自宅2階に逃げて難を逃れた横田さんは「皮肉な話だあ。最初に見た津波が防潮堤を超えていたら誰も町に戻らず、被害者はかなり少なくなったはずだ」と嘆く。
複数の住民によると、山田湾にはその後、南隣の船越湾を襲った高さ10㍍以上の津波が、幅500㍍の船越半島の付け根を越えて流入。湾岸沿いを北上して町中心部に入り、水かさが高まったという。
昭和三陸津波(1939年)は岩手県沿岸部で2500人以上の死者・行方不明者を出したが、当時の山田村の死者・行方不明者は7人だった。その後の津波や台風でも被害は軽く、三陸で最も波に強い湾と評されていた。
今回、被害が大きかった地域では、荷物を持ち出そうとしたり、車で逃げようとして渋滞にはまり、逃げ遅れたケースも目立つが、秋山さんは「命さえ助かれば、後は何とか生きていける。とにかく逃げること」と話した。
(中村洋介、浅井哲朗)