仙台東部道路 津波から住民救う【仙台・六郷】
                    <4月3日・河北新報>

■東日本大震災で被災した仙台市若林区六郷地区は水田が広がる中に住宅が建ち並ぶ地域で高いビルや高台がなかった。津波に追われた住民は高さ6メートルの仙台東部道路に駆け上がり難を逃れることができた。

仙台東部道路の前で津波の様子を語る大友さん

 

地上6㍍ 避難拠点の機能実証

 東日本大震災で被災した仙台市若林区六郷地区で、多くの住民が地区の東西を貫く仙台東部道路に駆け込み、一命を取り留めた。道路が周辺より高い盛り土構造だったことが幸いした。高速道は指定避難所ではないが、震災時の一時避難拠点として見直されそうだ。

 六郷地区で町内会長を務める大友文夫さん(79)は自宅近くで荒れ狂う波を目撃した。津波は高さ2~3㍍。車や家屋を押し流して迫って来て、海に背を向けて逃げた。

 目指したのは約600㍍先の仙台東部道路。目の前にある高台は高速道路しかなかった。死に物狂いで走って道路脇の高さ約1㍍のフェンスをよじ登り、のり面を駆け上がって難を逃れた。
 本線には既に約50人の住民が避難していた。妻と娘の姿もあった。「道路のおかげで命が救われた」と実感している。

 六郷地区は太平洋沿いに広がる平地。海抜は約2㍍にとどまり、津波に対する備えが長年の課題だった。
 地域には指定避難所の東六郷小などがあるが、海岸近くで津波の直撃が懸念されていた。東部道路は盛り土で地上約6㍍にあり、住民は津波被害を受けにくい点に着目した。2009年に津波対策連絡会を設け、道路を避難所に指定するよう求める全国でも例のない防災活動を展開した。

 今回の震災で、東部道路は住民の命を守り、がれき混じりの海水が西側市街地に入るのも防いだ。指定避難所の小学校は波が流入し、校庭に避難した住民の多くが流されて犠牲になった。

 大友さんは連絡会のメンバーでもあり、「東部道路が避難先になることが浸透していれば、犠牲者はもっと少なかったはずだ」と悔やむ。連絡会事務長(61)は「行政は東部道路を避難所に指定し、避難階段を設けるなどの措置を早急に講じてほしい」と話している。
 (神田一道)


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大津波への対応