■河北新報社は、東日本大震災から1年1ヶ月目に当たる2012年4月11日、毎月11日の朝刊に特集記事「防災と減災のページ」の連載を開始した。そのページの中には津波に遭遇し九死に一生を得た被災者の証言記事が含まれている。
ここには、2012年10月11日朝刊に掲載された閖上での津波体験談を紹介する。
鉄塔の上、生きる気力失せた時 <2012年10月11日・河北新報>
■家ごと大津波に流され、何とか屋根に上って次々に家が沈んでいく中を、屋根から屋根にジャンプしながら必死に逃げた。流されていく前方に携帯電話の鉄塔が近付き飛び移った。鉄塔の上で第2波、第3波の津波を目の当たりにし、閖上は全滅したと思いながら、もうこれ以上生きていても…と絶望の淵に追い込まれた。とそのとき、家族からのメールが届いた。
鉄塔の上、生きる気力失せた時
名取市閖上4丁目の自宅にいた会社員森屋克典さん(39)は、家ごと大津波に流されながら、鉄塔に飛び移った。足元で濁流が渦巻く中、森屋さんを襲うショック、寒さ、疲労。生きる気力を失いかけた時、家族からメールが届いた。
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震災当日は次女の卒園式のため、仕事を休みました。大きな揺れが収まった後、大津浪警報が出たので、妻、長男、長女、 次女と閖上小に向いました。その後、私だけ車と荷物を取りに、自転車で家に戻りました。まだたくさんの人が、家や道路にいました。
自宅でゴォーという音を聞きました。余震かなと思ったら、南から津波が押し寄せてきました。慌てて2階に上ると、水位が みるみる上がり、隣の家が動き始め、自宅に迫りました。ぶつかる直前にベランダに足をかけ、屋根に上りました。
その後、自宅も動き出し、家々にぶつかりながらすごい勢いで流されました。ぶつかった家が次々に沈む中、屋根から屋根に ジャンプして、必死に逃げました。
いったん、名取川方向に流された後、川の堤防を乗り越えた津波に押し戻されました。進行方向には携帯電話の電波等がありました。 すれ違いざまに飛び移りました。
はしごで鉄塔の中ほどに上ると、沖の方に第2波、第3波が見えました。東北学院のシーサイドハウス以外の建物は水没し、 閖上は全滅したと思いました。
鉄塔にがれきがぶつかるたびに、振動が伝わってきました。雪と風が強くなり、しばらくすると手足に力が入らなくなりました。 「避難所の家族は死んだかもしれない。自分だけ生きていても仕方がない」。絶望で頭がいっぱいになりました。
家族のメール励みに
そんな時です。携帯電話が鳴りました。まず勤務先から電話が入って、励まされました。そして、妻からメールが届きました。 家族の無事を知ると力がわいてきました。
波が引いた後、下に降りました。はだしだったので地面がとても冷たかったです。周りは、暗く何も見えません。朝まで寒さを しのごうと、がれきを集めて風よけを作り、ぬれているブルーシートを体に巻きました。
朝を迎え、道なき道を歩き、3時間かけて閖上小に着きました。家族と再会し、自宅近くに住んでいた両親も、閖上中に無事避難 していたことも知りました。あばらが痛く、足は凍傷になっていましたが、諦めないで良かったと思いました。
今は白石市に住んでいますが、海の近くで揺れを感じたら、とにかく逃げる。早く海から離れる。そう心掛けています。
■上の画像は、イーゴンの徒然というサイトに掲載されている画像を加工したものです。
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