証言の目撃地点マップは以下のとおり


 宮城県名取市のサイトで閖上地域の人口を見ると、大震災前の2月末時点で5612人だった。しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまった。名取市の犠牲者数は1027人(不明者は119人:6月10日現在)にも上っており、そのほとんどが閖上地区に集中している。9月末の人口は2410人となり、犠牲者だけでなく多くの住民が閖上から姿を消したことを物語っている。
 多くの人が犠牲になった主因は他地域と同様に、まさかここまで津波は来ないとの思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、車での避難者が大渋滞に巻き込まれて身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられる。→8月3日の河北新報社証言記事が詳細に報じた。

 河北新報社は4月8日、閖上での津波体験記事を「黒い津波の写真画像」とともに掲載した→map

<1>黒い津波、携帯で撮影・葬儀社屋上から【4月8日 河北新報】

 東日本大震災で、名取市閖上地区を津波が襲う様子を、宮城県セーリング連盟理事で幼稚園職員の金矢泰弘さん(63)=同市閖上=が携帯電話のカメラで撮っていた。
 撮影日時は3月11日の「午後3時59分」と記録され、画像には真っ黒い津波が街をのみ込む様子が写っている。
 金矢さんは地震後、仙台市内から自宅に戻る途中で交通渋滞に巻き込まれて車を降り、徒歩でたどり着いた名取市消防署閖上出張所前で津波に遭遇した。近くの鉄骨3階の葬儀社の屋上に逃げ、そこから撮った。
 金矢さんは「階段を上る途中で、ガラガラとものすごい音をたてて津波が襲って来た。屋上に出ると真っ黒い津波がうねっていた」と話す。
 波間からは救助を求める人の声が響いたという。「助けようとしたが、何もできなかった。地獄絵そのものだった」と振り返る。 →map

 


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河北新報社は4月12日、『大津波の瞬間、人々は何を見て、どう行動したのか。津波被災体験を絵で伝え残し、振り返ってもらいます』との趣旨で“私が見た大津波”シリーズの連載(不定期)を開始した。読者から寄せられた津波体験談を目撃者がそのときに撮影した画像又は、目に焼きついた風景画とともに報じていることが特徴的である。
名取市の津波証言記事は、そのほとんどが閖上(ゆりあげ)地区での証言である。河北新報社は4月13日、閖上小学校の屋上に避難したパート職員の津波体験談を報じた→map

<2>真っ黒い竜巻が立ち上がった・閖上小 <4月13日 河北新報>

 雲?霧?真っ黒い竜巻が立ち上がった

 午後3時半ごろ閖上小の校庭に避難しました。校舎から「上がれ」という大声が聞こえ、訳が分からないまま屋上へ。階段の途中で子どもの泣き叫ぶ声がし、そこで初めて近くまで津波が来ていることを知りました。

 屋上から海の方を見ると、真っ黒い津波の上に、竜巻みたいな真っ黒い雲か霧のようなものが立ち上っていました。

 自宅のある貞山堀から海側の街全体が、ゆっくりと北から南の方へ流されていきました。手前の貞山堀西側の地区には、家々がまだちゃんとありました。

反対側の校舎西側の小川は南から北へ激しく流れ、車やがれきが流されていました。

 閖上小は大勢の人がいて身動きできないほどの教室内で一晩を過ごしました。

トイレの臭気が鼻をつきました。遠くの方で火事のオレンジ色の炎が見え、爆発音が何回もしていました。
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河北新報社の“私が見た大津波”の5月16日掲載版。閖上大橋に避難して堤防からあふれながら川をさかのぼって来る津波を目撃した→map

<3>川さかのぼる白い壁・閖上大橋  <5月16日 河北新報>

 7メートルの白い壁、川さかのぼる

 燃料店を経営しています。地震発生時は閖上小の近くで仕事をしていました。すぐに店に戻ってバイクで得意先など50軒を回り、プロパンガスのボンベを立て直し、元栓を閉めていました。

 40~50分後でしょうか。閖上大橋の近くで「津波が来るぞ」という声を聞き、橋に上がりました。トラックの屋根に上ると、高さ7メートルほどの白い壁が堤防からあふれながら、名取川をさかのぼってきました。
 津波は3回。いずれも橋の下すれすれを通りました。海のにおいも、建物が崩れる音も、人の叫び声もしたはずですが、目にした光景に驚いて、思い出せません。

 堤防にたどり着いた人はわずかでした。橋の上に30人、近くの歩道橋に30人ほどしかいないのを見て、「閖上の住民は、ここにいるだけになってしまったのだろうか」と不安になりました。
 津波で流された家からは炎が上がっていました。すごい勢いで燃えていました。

 津波に流され、歩道橋に避難した人に引き上げられた妻と、仙台に遊びに出掛けた子どもたちと再会できたのは、3日後でした。
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河北新報社の“私が見た大津波”の5月26日掲載版。河口近くの水門にいて迫ってくる津波に気付き、自転車に飛び乗って閖上小へ何とか避難したという体験談→map

<4>荒れ狂った波が川を―・水門から閖上小 <5月26日 河北新報>

 荒れ狂った波、川を逆流

 地震後、自転車で自宅近くの見回りに出ました。貞山堀の水門を閉める作業を手伝った時です。堀の水が引いていることに気付きました。間もなく名取川河口から、波がうねりながら迫ってきました。午後3時50分ごろでした。

 「ただごとじゃない」「間に合わない」と自転車に飛び乗りました。道路は車で大渋滞。人もたくさん歩いていました。「逃げろ」と声を掛けながら自転車を走らせました。閖上大橋の方を見ると、荒れ狂った波が名取川を逆流していました。
 遠くには土煙が見え、バキバキッと家が壊れる音も近づいてきます。閖上小の3階まで駆け上がった午後4時ごろです。校庭に水がサーッと入ってきました。

 車がぶつかる音、クラクション、悲鳴も聞こえました。人を乗せたまま流される車も見ました。「夢だよな」と皆が話していました。地球の終わりのようでした。

 震災は単身赴任先の神奈川県から戻った日に起きました。家族は出掛けていて無事でした。津波の前後に撮影した写真は、地域の人に見てもらおうと、ファイルにまとめて閖上小体育館に置いています。

 まるで映画の特撮。バリバリという音と砂煙とともに、無数の家や車がミニチュアのように流され、粉々にされました。

 プロパンガスのボンベが管から外れ、「パン」「プシュー」という音が方々から聞こえ、しばらく一帯にガス臭が漂いました。現実とは思えない出来事が続いたため、涙が出る余裕もありませんでした。

 家族が無事だったことがせめてもの救いです。
map                                ↓撮影:10月16日


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河北新報社の“私が見た大津波”の6月22日掲載版。自宅2階にいて津波に襲われ流されてしまったという壮絶な体験談である→map

<5>波に体が飛ばされた・閖上2丁目 <6月22日 河北新報>

 2階建ての倍の波、体が飛ばされた

 地震の約20分後、名取川沿いの自宅兼鉄工所の2階で片付けをしていると、川水がざーっと引き、底の土が見えました。

 2、3分後、バリバリ、ガシャガシャという音を聞き、海の方を振り向くと、2階建ての鉄工所の倍の高さがある波が迫ってくるのが見えました。
 黒と茶が混ざったような色で、サーフィンなどの映像で見る大波そのままでした。逃げる間もなく背中から波をかぶり、体が飛ばされました。近くにいた父も巻き込まれました。

 気が付くと胸まで水に漬かった状態で浮いていました。500メートル離れたみやぎ生協閖上店近くの、がれきがたまった場所でした。水は1階屋根ほどあり、がれきをかき分けてつぶれかけた家の屋根にはい上がりました。

 既に夕方で、雪が降っていました。寒さがひどく、夜中、海側で火事が起きていました。屋根にしがみつき、近くの車の上にいた夫婦と話しながら一晩過ごしました。

 夜が明け、変わり果てた街の姿にがくぜんとしました。ごみとがれきが広がり、どこにいるか分かりませんでした。昼すぎに自力で屋根を降り、がれきの中を歩いて自衛隊に助けを求めました。父は後日、自宅近くで遺体で見つかりました。
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河北新報社の“私が見た大津波”の7月23日掲載版。バイクで実家近くまで来ると建物の2階が隠れるほどの波が迫ってきたため閖上小の直前まで逃げたがさらわれたという体験談である→map

<6>バイクごとさらわれる・閖上小   <7月23日 河北新報>

 迫る波の塊、バイクごとさらわれる

 地震発生後、自宅で妻の安全を確認し、近所の人にバイクを借りて名取市閖上の実家に向かいました。築100年を超えた建物の倒壊が心配でした。

 実家近くまで行ったときです。湊(みなと)神社の辺りで、道をふさぐように消防車が止まっているのが見え、次の瞬間、「津波だー、逃げろー」と叫ぶ消防隊員の声が響き渡りました。
 直後に神社の先のバス通りを、建物の2階が隠れるほどの波の塊が走るのが見えました。「ドドドドド」と家を根こそぎ運びながら、波が迫ってきます。Uターンする際、消防車が津波に巻き込まれるのが見えました。

 路地から県道閖上港線に出ると海側から茶色の波が押し寄せ、次々と閖上の景色をのみ込んで近づいてきます。死にたくない一心でとにかく逃げました。周囲の人たちに「逃げろー」と叫ぶのが精いっぱいでした。

 閖上小近くで、今度は西側からも波が来ました。校舎までもう少しというところで、バイクを波にさらわれました。転んだ先にあった車を足場に、校舎1階の屋根部分によじ登ることができました。

 あっという間に一面が水没したところを写真に撮りました。実家の家族は避難して無事でした。→map





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 河北新報社は8月3日、特集“証言/焦点 3.11大震災”に閖上を取り上げた。閖上では車や徒歩で避難中の多くの住民が犠牲になったのはなぜかに焦点を当て、津波到達時点に徒歩で避難していた理由、身動きが取れないほどの車の大渋滞の原因を証言から明らかにした。
◇2階に留まれば助かった公民館から津波が来る直前に強引に中学校に移動を指示した。公民館から一斉に避難を始めた車が渋滞に拍車をかけた。
◇仙台方面への大動脈・閖上大橋上で事故があり通行止めになったため仙台方面への車がどんどん溜まり、身動きがとれなくなった。
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<7>誘導あだ 多数の犠牲者        <8月3日 河北新報>
   大橋通行止め 信号消える 「5差路」で車滞留  

証言/避難者大混乱、名取・閖上公民館/誘導あだ 多数の犠牲者

 8月3日の河北新報朝刊1面の左上部をそのまま掲載した。見難い部分はあるものの何とか読めるレベルなのでテキストは併記しない。→記事ソース

 画像で見る風景◇閖上公民館と閖上公民館から見える中学校


「5差路」で車滞留 大橋通行止め、信号消える

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河北新報社の“私が見た大津波”の8月6日掲載版。この記事は閖上地区から南へ約3㌔の名取市下増田の養豚場職員が津波に襲われ、3㌔余りも流されながら助けられたという体験談→map

<8>救出され意識失う・名取市下増田  <8月6日 河北新報>

 川を漂流、救出され意識失う

 名取市下増田の養豚場「名取ファーム」で勤務中、津波に襲われました。地震後、約1700匹の豚にやる餌を貯蔵するタンクを点検していたところでした。

 津波は2メートルくらいで、真っ黒。音もなく、速いスピードで迫ってきました。津波が10メートル先に見えたとき、車で逃げるのは無理だと判断し、高さ4メートルの餌タンクのはしごを登りました。

 私の車が浮いたと思った次の瞬間、津波にタンクごと倒されました。近くの木枠を浮輪代わりにして約20メートル漂流すると、周囲より水位が低かった川に流されました。
 水中にのみ込まれましたが、水を飲まないよう目や口を閉じ、自力で浮上しました。その後は流れてきた発泡スチロールやタイヤにしがみついていました。水温が低く、手足の感覚がなくなりましたが、体力の消耗を防ぐため、なるべく動かないようにしていました。

 仙台東部道路の近くまで来たとき、陸地にいた人たちに引き上げてもらいました。助けられた途端、安心感と疲労からか意識を失いました。

 勤め先は海から約6キロも離れていて、大津波が来るとは思いませんでした。大地震の際はすぐ避難しないと駄目だと痛感しました。〔私が調べてみると、名取ファームは海から約1.3キロですが、記事は海から約6キロとなっています。救出された仙台東部道路は海から約4.5キロですから本文記事は誤りだと思われます〕→map


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河北新報社の“私が見た大津波”の10月9日掲載版。平屋の児童センターだったが屋根の高いホールがあったためホールに避難していたが、真っ黒い水にのみこまれた→map

<9>水とがれきにのまれた・閖上児童センター <10月9日 河北新報>

 ガラスが割れ、水とがれきにのまれた

 勤め先の名取市閖上児童センターで津波に遭いました。私を含む職員4人と、小学生1人、それに避難してきた住民2人がいました。
 児童センターは平屋でしたが、運動ができる屋根の高いホールがありました。そこへガラスが割れるものすごい音とともに、真っ黒い水とがれきが入ってきて、私たちをのみ込みました。

 海水に沈み、水を飲んでしまいました。嫌な味がしました。何とか浮き上がり、カーテンレールのパイプにつかまって見たホールの様子がこの絵です。柱や暗幕、流れてきたドアやがれきにしがみつきながら、流されないよう皆必死でした。建物のガラスが割れた部分はすさまじい勢いで水が流れ、壁がある部分は渦を巻いていました。

 水が引いた後、児童センターの女子トイレに避難し、寒さの中を歌を歌って励まし合い、夜を明かしました。でも7人のうち住民1人が流されてしまい、後で亡くなったことが分かりました。

 体験を8こま漫画に描きました。あの時のことを思うと涙が出て、しゃべり出すと止まらなくなりますが、漫画にしたことで少しは気持ちの整理がついた気がします。→map

 


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大津波の証言・名取市

2012年の証言記事

  

大津波の証言

石巻市 ・仙台市
南三陸町 ・名取市
女川町 ・気仙沼市
山元町 ・多賀城市
東松島市 ・亘理町
岩沼市 ・七ヶ浜
塩釜市 ・洋野町

  

  

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