6月24日、朝日新聞社によって“保育中の園児3人死亡 3カ月放置のあきれた「言い訳」”の見出しで報道されるまで、東日本大震災で保育園で保育中の園児の犠牲はゼロと言われていた。しかし、朝日新聞社の記事によって山元町立東保育園および山元町の対応が明らかとなり、園児が犠牲になった原因とその後の対応に疑問を投げかけた。そして11月、遺族は山元町を提訴した。
まず、6月24日に朝日新聞社の記事が発表されるまで定説とされていた「保育園で保育中の園児の犠牲はゼロ」の記事を紹介する。読売新聞社が5月14日に報じた。
保育中の園児死亡ゼロ…避難訓練・機転が命守る
<5月14日 読売新聞>
東日本大震災により宮城、岩手、福島の3県で被災した保育所が315に上り、このうち全壊や津波による流失など甚大な被害のあった保育所が28以上あることが13日分かった。一方で、保育中だった園児や職員で避難時に亡くなった例はこれまでに報告ゼロであることも分かった。
3県から厚生労働省に報告された被災保育所の件数は、宮城県で243件(うち全壊・津波流失は16件)、岩手県で34件(同12件)、福島県で38件。福島県については被害程度の内訳は分かっていない。
乳幼児を預かる保育所は、各種災害を想定した避難訓練を毎月行うことが義務づけられている。大地震が襲った3月11日午後2時46分は、保育所では昼寝の時間帯だった。保育士らが園児を起こして身支度させ、乳児をおんぶするなどして集団避難したとみられる。避難時の状況を保育所から聴取した宮城県子育て支援課によると、異常な揺れを感じて日頃の避難ルートをやめ、さらに高い所へ逃げたため全園児を守ることができたケースもあったという。
ソース→(2011年5月14日03時04分 読売新聞)
しかし、以下の記事で山元町立保育園で園児3人が保育中に津波の犠牲になったことが明らかにされた。6月24日の朝日新聞の記事である。朝日新聞社はこの記事で、津波襲来直前のギリギリの段階で車9台に分乗して逃げ出した際に、園長や教員が優先され後続車の園児が犠牲になったこと、そして、園児が犠牲になったことの宮城県への報告がなかったことがこの取材で明らかになったことを問題視している。
保育中の園児3人死亡 3カ月放置のあきれた「言い訳」
<6月24日 朝日新聞>
東日本大震災・宮城の悲劇 週刊朝日2011年06月24日号配信
「保育中の園児死亡ゼロ」との見出しを1面で掲げたのは5月14日付の読売新聞だった。
「保育中の園児死亡ゼロ」との見出しを1面で掲げたのは5月14日付の読売新聞だった。被災した各県で死亡事例の報告がないことを取り上げて、こう記した。
〈「奇跡の犠牲者ゼロ」と保育関係者などの間で言われている〉
命がけで子どもを守った保育園は確かに少なくなく、その後も民放テレビ局の情報番組などが特集を組んだが、実際には園に預けられたまま死を遂げた子どもがいることも知るべきだろう。
宮城県山元町の町立東保育所。3月11日の地震発生時は昼寝の時間で、そのとき六十数人の子どもを預かっていた。駆けつけた家族や親族に子どもを引き渡し、津波が押し寄せる間に残ったのは、所長を含む職員14人と子ども13人だった。
職員らが子どもを連れて逃げ始めたのは、いよいよ津波が保育所に迫ってからのこと。職員らの車9台に分乗したのだが、その"逃げ方"がのちに遺族の不信感を煽ることとなった。
ある関係者が説明する。
「最初に逃げた車には先生1人と子ども3人、次の車に先生1人だけ、3台目の車に所長を含む先生3人と子ども1人が乗っていて、この3台は水に濡れることもなく逃げ切った。後を追って逃げることになった6台が津波にのまれ、それぞれ押し流された先々で3カ所の建物の2階に這い上がったものの、6歳の男児と女児、それに2歳の男児の計3人が逃げられずに命を落とした。その3人が乗っていた車には、先生1人と計6人の子どもが乗り合わせたそうで、なぜ所長らが子どもたちより先に逃げたのかと、遺族は首をひねっているそうです」
町役場は遺族への説明会を開いたものの、説明の場を求めた保護者会には対応せず、県への報告も怠ってきた。その結果が読売の記事に表れたわけだ。
町役場を訪ねてみると、
「(保育所の管理下で亡くなった児童に支払われる)特別弔慰金の手続きもあるので、すでに県には報告してありますよ」
と話す担当課長が、目の前に担当職員を呼びつけた。
「報告はしたんだよな?」
と確かめる課長に、職員は小さな声で力なく答えた。
「し、してないです......」
しばしの説教ののち、課長が詫びてくる。
「報告が遅れてしまって、申し訳なく思います」
担当職員の弁明はこうだ。
「県から書類は届いていたが、当初は忙しくて返せなかった。読売の記事が出たあと、県に電話で概要を伝えたが、津波に遭ったのが敷地を出たとこの駐車場だったので、保育中(管理下)と言えないかもしれないとの議論があって、最終的に保育中と判断するまで時間がかかった。今は書類を出そうと準備をしていたところで、決して隠そうとしたわけではありません」
保育中の子どもがなぜ命を奪われたのか。その検証にはまだまだ時間がかかりそうだ。 (本誌・藤田知也)
◇◇◇ 朝日新聞社の記事 ◇◇◇
河北新報社は10月14日、『証言/3.11大震災』で遺族への取材結果を証言記事としてまとめた。ここで新たに明らかになったことがある。町立保育園なだけに町の指示を仰ごうと保育士を役場に派遣したところ、町の総務課長から「現状待機」を指示されたという。これが避難が遅れた最大の理由だった。
証言/宮城・山元の保育所、園児3人犠牲/迫る津波「待機」なぜ
<10月14日 河北新報>
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読売新聞社は11月14日、保育園で犠牲になった2園児の遺族が山元町を相手に仙台地裁に提訴したことを報じた。
津波で園児3人死亡、慰謝料など求め町を提訴
<11月14日 読売新聞>
東日本大震災の津波で宮城県山元町立東保育所の園児3人が死亡したのは、保育所を運営する町の対応に問題があったためだとして、3人のうち2歳と6歳の男児の2遺族が14日、同町を相手取り、慰謝料など計約8800万円を支払うよう求める訴訟を仙台地裁に起こした。
震災時の施設管理責任を巡って犠牲者の遺族が提訴したのは、同県石巻市の私立日和幼稚園、山元町の常磐山元自動車学校のケースに次いで3例目。
訴状によると、同保育所は震災発生時、町災害対策本部の待機指示に従い、園児64人のうち、保護者らが迎えに来なかった13人を園庭で待機させた。約1時間後に津波が迫り、園児を保育所や居合わせた保護者らの車で避難させようとしたが、死亡した3人を乗せたワゴン車は駐車場で津波にのまれた。原告は「(町側が)誤った指示を出し、園児の身体生命を守る安全配慮義務を怠った」などと主張している。
提訴を受け、同町の斎藤俊夫町長は「遺族の理解が得られず訴訟となったのは誠に残念。訴状を見たうえで誠実、的確に対応したい」とのコメントを出した。
ソース→(2011年11月14日19時23分 読売新聞)
河北新報社は11月15日、上記の読売新聞社と同様に遺族が提訴したことを報じた。1日遅れの報道となったが提訴理由や遺族のコメントも編集し詳細に伝えている。
津波で園児亡くした2遺族、町を提訴 宮城・山元
<11月15日 河北新報>
東日本大震災の津波で宮城県山元町の山元町東保育所の園児3人が死亡したことをめぐり、保育所側の対応に安全配慮義務違反や過失があったとして、亡くなった2歳と6歳の男児2人の遺族が14日、保育所を管理する町に計約8800万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。震災の犠牲者の遺族が、行政の管理責任をめぐって訴訟を起こしたのは初めて。
訴えによると、保育所は3月11日午後2時46分の地震発生後、当時の町総務課長から「現状待機」と指示されたため、園児や保育士らを園庭で待機させた。午後4時ごろ、津波が約80メートル先にまで押し寄せたのを確認し、車10台に分乗して避難を開始。6番目に出発したワゴン車は津波にのまれ、男児2人と女児(6)が亡くなった。
遺族側は(1)町の課長が避難指示する広報車を出動させていたにもかかわらず、園庭に待機させる誤った指示をした(2)保育士らはラジオなどで情報収集せず、園児の避難が遅れた(3)園児6人が乗ったワゴン車には保育士1人だけで、津波からの救助は困難だと予測できた―などと主張している。
遺族側によると、町側はこれまでのやりとりで「町の課長が退避と話したのを、保育士が待機と聞き間違えた可能性も否定できない」などと話したという。
斎藤俊夫町長は14日、「町として誠意を持って遺族に説明させていただいた。理解が得られず訴訟となってしまったことは残念。訴状を見た上で誠実、的確に対応したい」とのコメントを出した。
「真実語り謝罪を」/2遺族会見、怒りと不信収まらず
津波で亡くなった宮城県山元町東保育所の園児2人の遺族は14日の提訴後、仙台市青葉区の仙台弁護士会館で記者会見した。遺族は時折、わが子の生前の姿を思い出して言葉を詰まらせながら、提訴に踏み切った心境などを語った。
「私たちの命より大切な子どもが亡くなった。その悲しみと同じほどの怒りを保育所側に感じる」。犠牲になった渋谷歩夢(あゆむ)ちゃん(2)の父亮さん(28)は語気を強めた。
3月11日朝、元気に手を振って保育所に向かった歩夢ちゃんを、今も忘れられない。2歳10カ月、言葉を覚え始めたばかりだった。「自分の大好きなお菓子なのに、おじいちゃんや、おばあちゃんにも分けていた。優しい子だった」と亮さんは振り返る。
もう1人の犠牲者は鈴木将宏ちゃん(6)。原告の母あけみさん(46)が育ててきた大切な一人息子だった。
あけみさんが仕事を終え、疲れて帰宅すると、将宏ちゃんは「ママ、お仕事大変だね」と声を掛け、肩をもんでくれた。よく「ママを助けたいから、早く大きくなりたい」とも言っていた。
「将宏はしっかり者に成長していた。小学校に入学目前で、本人はどれほど無念だったか。母としてやるべきことをやりたいと思い、訴えた」。あけみさんは切々と語った。
町側とは4月以降、計11回の話し合いを続けたが、隔たりが埋まらず、怒りと不信は収まらない。あけみさんは「町は真実を語り、心から謝罪するべきだ。保育所の運営も改善し、このような事故が二度と起きないようにしてほしい」と訴えた。
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