証言の目撃地点マップは以下のとおり

大津波の証言/亘理町のマップ


 亘理町内での死者数は257人、行方不明者3名(11月1日現在)という被害となった。特に、阿武隈川河口右岸と入り江“鳥の海”内の荒浜漁港に挟まれた地域が壊滅状態となった。この壊滅地域と隣接する荒浜漁港の陸側で入り江“鳥の海”に近いエリアは若干小高く被災を免れている建物も存在し、比較的多数の樹木が残っている。
 亘理町内の津波証言記事は3月16日、河北新報社が「屋根の上一夜耐える」の比較的小さな見出しで報じた。平屋の自宅にいて津波に襲われ家ごと流されてしまった親子が何とか屋根に上がり生還を果たしたという→map

<1>屋根の上一夜耐える・亘理町吉田   【3月16日 河北新報】

  屋根の上一夜耐える 津波被害親子生還「信じられぬ」・亘理

 宮城県亘理町吉田の加藤功さん(67)と長男芳弘さん(32)は津波で家ごと流され、ほぼ丸1日後にヘリコプターで救出された。避難生活を送る同県大河原町総合体育館で生還までの経緯を振り返った。

 自宅は海岸線から西に約2キロの平屋だった。揺れが収まり、芳弘さんが家の外に出たら、帰宅した功さんに会った。ゴゴッ、ゴゴゴッ。「何だ、この音は」。目を合わせた2人に津波が迫った。

 「離れの部屋に逃げ込み、かばんに大事な物を詰め込んだ瞬間、部屋ごと流された」と芳弘さん。窓から電柱を伝って母屋の屋根に上がった。
 流された離れに目を向けると、すぐ横ですのこに乗った父の姿が見えた。功さんは「気付いたら、家で使っていたすのこの上にいた。いかだのようになった」と語った。

 屋根に上がった2人に風が吹き付け、体温を奪う。浮いていたベッドの布団をかぶったが、父は震えが止まらない。カラーボックスを見つけ、ぬれていない服を探して着替え、一夜を過ごした。

 12日未明、水位がやや下がったのを見計らい、2階のある近所の家に逃げた。昼すぎ、県外の救助応援のヘリコプターに発見され、救助された。
 「いまだにここにいるのが信じられない。助けられるまでのワンシーン、ワンシーンが夢のように感じる」と芳弘さん。別の場所にいた家族も難を逃れ、今は避難所で身を寄せ合う。
 それでも失ったものは大きく、功さんは「人生で築いたものが全てなくなった」とつぶやいた。
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 河北新報社は4月3日、町営温泉施設「わたり温泉鳥の海」の臨時職員白井龍治さん(34)が撮影した画像をもとに、宮城・亘理荒浜地区“津波襲来の瞬間”の見出しを付け、津波が松林の間から押し寄せ始めた瞬間とその2分後、さらにその5分後の3枚の画像とともに第17面に大きく報じた。
 河北新報社のサイトに掲載された画像は283×212と小さいため、この記事については4月3日の朝刊紙面をできるだけ大きな画像が見られるサイズで紹介する。下記に添付した画像をクリックするとさらに大きな画像を見ることができる→map

<2>亘理の荒浜地区 津波襲来の瞬間   <4月3日 河北新報>

 シワがある新聞紙を撮影しております。また、画像内にはコメントを追加しております。画像をクリックすると記事が読める大きさの拡大画像が開きます。

亘理・荒浜 津波襲来の瞬間◇クリックするとさらに大きな画像(593KB)が見られます




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 河北新報社は4月12日、『大津波の瞬間、人々は何を見て、どう行動したのか。津波被災体験を絵で伝え残し、振り返ってもらいます』との趣旨で“私が見た大津波”シリーズの連載(不定期)を開始した。読者から寄せられた津波体験談を目撃者がそのときに撮影した画像又は、目に焼きついた風景画とともに報じていることが特徴的である。
 河北新報社の“私が見た大津波”の5月30日掲載版。夫からの電話でやっと避難を始めたが車ごと流されてしまったという体験談 →map

<3>車ごと流され、九死に一生・荒浜   <5月30日 河北新報>

証言/亘理町の大津波・5月30日/河北新報

 車ごと流され、九死に一生

 夕食の支度に取りかかろうとした矢先に、地震に襲われました。食器棚が倒れ、停電になりました。津波が来るとは思わず、コンビニへおにぎりを買いに行こうかとのんびり構えていました。

 しばらくして電話が鳴りました。「津波が来るぞ」。岩沼に出掛けていた夫が慌てた様子でかけてきたのです。
 油断していました。すぐに次女悠(16)と犬を連れて車を出しましたが、すぐ背後に迫っていた津波に流されてしまいました。

 車は水に浮かび、どんどん押し流されました。何とかバランスを取ろうと、必死でハンドルを握りましたが、どうすることもできません。フロントガラスからは間近に濁った水とがれきが見え、とても恐ろしかった。

 そのうち倉庫に使われていた貨物列車が見えました。娘が「ここに降りよう」と叫びました。

 運良く車は列車にぶつかりました。パワーウインドーが動いたので窓から娘と犬とともに脱出しました。車両の屋根によじ登ったところで、ようやく「助かった」と思いました。娘と一緒でなければ、命は無かったと思います。

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 河北新報社の“私が見た大津波”の6月9日掲載版。荒浜の新聞販売店兼自宅に戻る途中、阿武隈川河口の川底が見えるほど潮が引いているのを見て津波が来ることを実感したという →map

<4>潮が引き、どす黒い川底が見えた・荒浜  <6月9日 河北新報>

私が見た大津波/亘理・荒浜/6月9日河北新報

 潮が引き、どす黒い川底が見えた

 名取市内にいた時に地震が起き、急いで県道塩釜亘理線を通って車で自宅に向かいました。ラジオで大津波警報を聞きましたが、実感が湧きませんでした。

 阿武隈川に架かる亘理大橋を渡ると、潮が引き、どす黒い川底が見えていました。生まれて初めて見る異様な光景で、これは津波が来ると思いました。自宅に戻ると、妻がリュックを背負って避難しようとしているところでした。

 近くの荒浜小に歩いて避難する途中、阿武隈川の堤防上で写真を撮りました。河口から約1キロの場所です。午後3時50分ごろ、第1波が押し寄せてきました。

 第1波は、堤防の半分ぐらい。第2波は堤防からあふれそうでした。河口の先を見たら、ものすごい高さの第3波が見えました。これは駄目だと恐怖を感じ、荒浜小に駆け込みました。

 3階建て校舎の屋上から、蔵造りで白壁の店舗兼自宅が、波にのまれる瞬間を見ました。全壊でした。とても残念です。生まれ育った荒浜の町を元に戻したい。必ず店を復活させてみせます。

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